エル ELLE

ひとりでいることはそんなに難しいことではない。

他人と一緒にいることの方が本当はよっぽど困難で労力を使うことだ、と思う。

でも周囲は一人きりでなんでもやってこなしていく姿に憧れを抱いてくれもするし、褒めそやしたり、時に嫉妬することもある。

実はひとりでいることで楽をしているだけでそれに劣等感すら感じているのに、むしろ他者には評価されることのギャップがたまに心に刺さる。

私は独りでいることをどこかで恥だと思っている。恥だと思いつつ、それを世間が評価するだろう見せ方を知っているから、そうなるよう仕向けることがある。そしてその行為にもっとも“さもしさ”を感じる。

 

「ELLE」という映画の主人公のミシェルは、そんな恥をさらすことを怖れない。

(たぶん)恥だとは思っていても、自分のしたいことをする強さがある。

それは見せかけのプレゼンではなくって、「そうするしかできないんだけど、なにか悪い?」という素直な開き直りの姿だ。

彼女の決断に他人は介在しないから、周囲は面喰うような場面に何度も何度も遭遇し、ふりまわされる。彼女が単なる悪人であれば、人に嫌な思いをさせたいという動機や行動傾向があるから対応もできるだろう。でも彼女は彼女自身のポリシーすら裏切って、その時その時の決断をしていくから、誰も止めることができない。

でも、他人に怯え合わせるようなふりをしながら結局は自分しか愛せない人より、すべては自分の尺度で他人も自分も好き勝手に愛する彼女が間違ってると誰が言えるのか?

 

私も他人の気持ちなんかおかまいなしに、でも本当に他人を愛せるようになりたいと思った。そうなればひとりでいることもきっと認められるようになる気がするから。

 

 

True Love 2 プライド

真実ってなんだろう。

真実って単に「まこと」であればいいだけなのに、人は唯一のものだったり反証できないものを求めようとする。

批判する人は批判する人で、絶対のものなんかない、そんな美しいものなんかないと言い張るけど、その前提自体おかしくないか?

 

真実という言葉を口にする人は皆、どんどん口ばかり大きくなり必死になって、滑稽だ。

それでも真実なんかないと馬鹿にしている人より、必死になにかを信じようとしている人の方が、断然魅力的だと私は思う。

 

『True Love 2 -プライド』を観て、私は誰に関しても、おぞましいともクズともキチガイとも思わなかった。

 

自分を正当化したい気持ちは滲み出ていたけど、そのために他人を巻き込むことを彼らはしていない。

自分をよくみせるために他人を蹴落としたり、自分の欲求について誰かに責任をなすりつけたり、味方を作って媚びたりしない。

ただただ、自分に素直で自分の欲に苦しんでコントロールできなくて、足掻いている人たちだ。

 そんな彼らがいう「真実の愛」があるのかないのか論じるのってなんかナンセンスじゃないかしら。

 

SEXが彼らの何かを埋めるのは事実だ。あんなに旦那さんを毛嫌いしていた女優だって、SEXをすると何かが埋まった。

愛人はこりごりだ、仕方なく付き合っていたという旦那が、それでも彼女を愛して何かを埋めていたのは事実だ。でも一方で奥さんのことをもうどうでもいいと思っていないのも事実だ。

 

彼らの心も身体も矛盾だらけだけど、それによって想いを否定すべきと大声で言えることの方が馬鹿馬鹿しく、嘘だ。

 

どんなに辻褄が合わなくても、突然好きになったら嫌いになったり、世界は泥臭く変わっていくのが真実じゃないか?

 

ペドロ・アルモドバル監督『トーク・トゥー・ハー』でも、極めて歪な生活や関係しかないのに、その中には 不思議なあたたかみと人間らしい愛情を確かに見る。

あれはフィクションだけど、これはそのふしぎな世界を現実世界から抽出した、とても面白い作品だと思う。

 

身体を売ったらサヨウナラ

AVと聞くとすぐさま、転落した終わりとか法に反してるとかヤバイ人と繋がってるとか…薄暗いイメージを思い浮かべるひとは多いだろう。

 

私もAVは「薄暗い」と思っているがそれはまた別の意味でだ。全く遠いところにある「怖い何か」とは思わず、むしろ手の届くところにある「牧歌的であたたかな何か」だと思う。

ただ、その「あたたかさ」は自分だけのものじゃない。だからそのあたたかさが大事になればなるほど、かえって心が変になってしまうこともある。

 

この映画では、その捉えにくい温く心地よい闇を的確に捉えてると思った。先に述べたあたたかさと薄暗さは、AVのSEXだけがもたらすものじゃなく、人との関わり合いの中で誰しもが経験しうるものだ、ということをきちんと表していると思う。

ただ、彼女以外の登場人物の行動はあまりにもフワフワとしていて真実味というかリアリティはなくともそこに存在している感じが薄かったのが残念だった。

夜明け告げるルーのうた

見逃して後悔してたのですが、期間限定で再上映始まったので観てきました。

 

最近のアニメ作品は、単なる連続アニメの総集編とか引き伸ばしなどではなくて、実写と変わらない強度の作品が多く満足度が高い。のですが、悪く言えば実写と変わらないわけで、アニメである必要ってどこまであるの?とか思ったりもする。

しかしその中でもこの映画は、小さい頃に観ていた、慌ただしい展開にハラハラし胸が詰まり本当に心が辛くなって、最後幸せな気持ちがあふれるあの頃のアニメ映画の要素を全部ぶちこんだみたいな作品でした。

 

まさにアニメーションでしか語れないメッセージを投げてくるので、この映画のインパクトを文字にするのはとても難しい。愛とか夢とか嫉妬とか平和とかそういうのをサブリミナル効果のごとく脳に訴えてくる。

 

特によかったのは、やっぱり傘をみんなで開くあのシーン。あれは普通に考えて展開上はあそこにいた数人が開くだけでいいのだけど、傘が咲き乱れるようにたくさんの手であえて開かれることで、これが意味するところが現実社会の問題全ての解決策なんじゃないか、とさえ思えるのです。

んなこたあないとはわかりつつ、そういう物語を超えた強いメッセージがダイレクトに伝わるのがほんとうに強烈でした。また観たいなあ

Raw

失神者続出で公開すら危ぶまれるカニバリズム映画『Raw』をフランス映画祭で観てきました。

 

すると。そんなグロくもなく、どっちかっていうと悲しい映画というか、心当たりのある辛さというか…いろいろと身につまされる性春ラブコメホラー映画でした。

 

とにかく主人公の表情も行動も全てにおいて一貫性がない!

にもかかわらずロジックで心と体を制御しようとするから拒絶反応が止まらない!

 でもその拒絶反応こそたぶん彼女を彼女足らしめる核のようなものだから、手離せない!

…そういうごちゃごちゃごちゃごちゃした(他人から見たらただの気狂いな)こだわりが、、また、、(涙)

 

でも彼女はその中でもちゃんと成長して他人と関われるようになろうとして、ホントにいい子。いくらでも言い訳して誤魔化す事が出来るのに、立ち向かう姿はとてもかっこよかったです!そしてかわいい!

 

他人と関わるって大事…と反省した映画でした…広く公開した方がいいよ…

20センチュリーウーマン

カラフルな服が好きだ。

それも、重ね着とかをうまくしてかわいい服でなく、シャツとパンツとかワンピースとか形はすごいシンプルで何気ないのに、その色とその人がうまく際立ってパッと映えるような服。

 映画の中にはたまに、そういう心を離さない服が出てくる。

『20センチュリーウーマン』のエル・ファニングもまさにそう!エルファニングがかわいいからもあるけど組み合わせが最高すぎる。あんな黄色いTシャツやピンクのワンピースを私も着たいぜ…

 

この映画に出てくる人はとにかく自分のことを理解できない。

セラピストの子供だからってさも他人を理解したように話すジュリーも、実のところなんにもわからず悶々としている。(そもそも心理学なんて、人間のことがわからないから始めるやつが多いんだからこうなりやすいことを身を以て知っている…)サバサバしてかっこいいお母さんも、自由な生き方をしているアビーも、そういう自分を演じているだけで、結局自分の心のうちさえ理解出来ず苦しんでいる。

 それでもこの登場人物は全員めちゃめちゃ愛おしいし、信頼できる。こういう人たちはふつうとってもめんどくさいし、かわいさよりも陰湿さが強くてちょっと観てるだけでグッタリする(※陰湿も飛び抜けると『ヤング≒アダルト』とか猛烈最高に面白いけど!)んだけど、彼らは自分のダメなとこを素直に受け止めて考えるし、弱いとこを他人にみせる。 そして絶対他人を馬鹿にしない。自分のだめなところを人のせいにしないで、ちゃんと思い悩んでる。

当初どの登場人物も不器用で人間らしくて、なんだか自分みたい…とか思いそうになるけど、全然違う。一緒にしちゃいかん。彼らは本当に気高く、素敵で、目指すべき人間だと思った。

22年目の告白ー私が殺人犯ですー

ドラマSR~マイクの細道〜がとうとう最終回を迎える。グダグダとしているように見えながら、目が離せない瞬間があるこの不思議な映像そのものが、彼らを表しているようで愛しい。ラップなんて全くわからないのに、この世には上手いか下手とかを超えて大切な音楽があることがなぜかわかる(ような気になる)。大好きなバンドに感じる気持ちと同じ気持ちを、このシリーズにも感じる。(日々ロックは私にとっては完全に愛するバンドの映画と思ってるし)

 

入江悠監督の映画はいつも自分にとって関係ない世界や、さして興味のない話でも、なぜか腑に落ちてしまう、納得させてしまう強い力がある。

 この映画では、使用されるモノへのこだわりはもちろん、22という文字やファッション、髪型、ちょっとした配置などすみずみまでホント隙がない。

その隙のなさは、フィクションであるはずの映像をリアルにするだけでなく、見聞きはしても体感していない実在する過去の事件の数々を、あたかも"思い出した"気にさせる。

 

面白いクライムサスペンスは数多くあってもそれは面白いドラマを傍観してるに過ぎないことが多い。

でもこの映画はもっと当事者として事件に巻き込まれるような、自分ごととして考えないといけないような、引力の映画でした。