7月 AVいろいろ

◾️『となりの奥さん ハメチャイナ メイメイ』梁井一監督

上っ面を理解するでも適当にまとめるでもなく、大いなる想像と勘違いを持って真っ当な性で向き合ってて、異文化関係なく最高の交流って感じだ。

 

◾️『通りすがりのAV女優 処女と娼婦編』梁井一監督

このシリーズ、最近対になってることが多いけれど、対になればなるほど簡単に対にはなってくれない女の子達の不安定な魅力とわからなさが詰まってる。言い尽くせないけど映ってる気持ちにハッとする。

 

◾️『劇場版 名器完成』バクシーシ山下監督

シンプルに様式美というか、人間の欲のことを静かに的確に捉えた映像であるのに、そこに雑味の多過ぎる周辺情報が加わってとても大味でたいへん良かった。岩淵弘樹を堪能。

 

◾️『デカ尻スキャンダル セックスアイドル 水嶋アリス』カンパニー松尾監督

かわいかったり色っぽかったり、あべこべな世界であべこべに生きていくのは易しくはなさそうだけどひとに優しい。自分のパラレルワールドにも誰かが繋がってると信じられる。

 

◾️『脳イキ 星あめり』梁井一監督

目さえ合わせずイキまくる彼女にとってのセックスは完全に「独り」の行為で、梁井兄さんはイキたいところへ導く運転手でしかない(しかも故障)。でも唯一他人に見せたいという欲求が彼女のオナニーをセックスにしてる気がした。性行為ってなんだろな。

未来のミライ

「繋いできた人生はすでにそのミライにも繋がっていることが保証されていて、何があっても大丈夫」

この作品のタイトルは、単に、未来ちゃんという少女のミライという意味でなくて、過去の未来(つまり現在)のその先のすべての未来への継承のことを指すのだと思う。

でもそんな確実な社会を描けば描くほど、親も子もだれもお互いのことをみていなくて、なんだか遠い目をしている。

みんなお互いに目を合わせず未来ちゃん(ミライ)だけを見て会話してるよう。

それは、本当に幸福な未来なんだろうか?…と思った。

 

■合間のお食事

ベルクのハレヤマとチキンラップ

またハレヤマの季節がやってきた。猛暑だけどこのビールは心地いいね。

 

カメラを止めるな!

前情報はほぼなしで、カメラを人に向ける覚悟を説いた無名監督のドキュメンタリーだと思って行ったので、最初震えた。

そこからなんとなくの物語の流れがわかって、まあまあ楽しく観ていたのだけど、それも全く違ってさらに震えた。

 

マチュアとかインディペンデントとか無名とか、そういうこと気にせず映画を観ているつもりだけれど、

心のどこかで「これはこういう映画だ」っていうフレームに当てはめて映画を観ていて、

そのフレームの中でそれぞれの映画を楽しんでいる。

 

でもこの映画はまさにそこを捉えて絶妙な仕掛けを作っていく。

映画はテンポよく進むので、ただただ面白いなあという気持ちだけで観てしまうが、

よくよく考えればものすごいことをしている。

スクリーンの中だけで仕掛けを作るのはでっち上げればいくらでもできるだろうけれど、この映画の仕掛けは現実にある。

そしてそれがどれだけ大変だったかという現実の気持ちがまさに映画になっているので、なんだか心掴まれずにはいられない。

 

勇気と根性と夢のある映画でした。

 

◆合間のお食事

新代田えるえふるの赤ホッピーと、豚肉と夏野菜のカレー炒め

毎日猛暑なので、サッパリした味のお酒と辛い食べ物が合いますね。

 

 

 

 

REVENGE

なんの前情報も入れないで観たら、まさかのB級ホラー化していって、

まあでも結構テンポよくて血も多めで楽しいじゃんと思ってたんだけど、

いっちばん楽しいところをことごとく外していってて、これはなにか新感覚のギャグなのか??どうして??どうしてなん??と思ってる間に終わってしまった…。

まあそれ含めて、誰かと観たらわいわい言えて楽しそうな映画だと思いましたよ。

 

◆合間のお食事

新宿ベルク:7月の赤Aとチーズ

月が変わるとワインとチーズが変わるのでそれを毎月楽しみにしてる。

やっぱりちゃんと書こうとすると停滞してしまうな。もっと短く記録をつけていく程度でやっていかんと。

 

ドリーム(原題: Hidden Figures)

数学の才を持つ黒人女性達がNASAマーキュリー計画に参加して成功に導く話。

テーマの主軸にあるのは、当時のアメリカバージニア州で行われていたアパルトヘイトからの解放だが、それ以外にもソ連との宇宙開発の能力差や男女差などから発生する様々な「差別」が 蔓延していて、登場人物が皆『虐げる立場』にも『虐げられる立場』にもなる絶妙な構図となっている。

黒人は自分とは違うトイレを使いバスの席も隔離されていることになんの疑問持たない白人女性も、「オンナは単なる計算機であって重要な会議に出れる訳がない」と一蹴される憤りは理解できてしまう。

この理解できてしまう、ということ。周りからの理由なき侮蔑から解放されたい、何者かになりたい、そしてそうなる権利があることを証明したい気持ちで、彼らは性を超え人種を超え1つになれてしまう。

彼らが無自覚に違う差別をしてしまうことから素直に脱してとても美しいサクセスストーリーになったのは、彼らにそうしないと達成できない気高い目標があったからだ。裏を返せば、目標も目的も特に持たない市井の人々の中には、この現代まで依然として変わらない差別が横たわっている。

 

私たちの周りの謂れ無い侮蔑がなくならないのは、侮蔑をする側こそ無用でなんの価値もない人間だからかも、、と考えてしまいますね。

其ノ灯、暮ラシ

MOROHAのツアーライブと並行して、監督のエリザベス宮地がそれに負けない強度の映像を撮るべく、ファンの家に宿泊をお願いして歩き、その人々(あるときは自分の身内)の内情を尋ねていくドキュメンタリー。

正直、まだ内容を捉えていない感じなのである。皆、それぞれの人生と想いを持って生きている…のは、当たり前だなあと思ってしまう。

自分の人生とシンクロするということに飢えていないので、その点についてはそういうこともあるなとしか感想が浮かばない。では、監督は何を見せたかったのか?と思うのだが、映画に映る宮地さんの人生、身近な周囲の人生もごくごく1つの他人の人生として(あえて)画面に映してる気がして、心が入り込めないのだ。

MOROHA自体も「神」としてでなく、一人の人間として自身の気持ちを唄にしているのであって、ファンと交わっていかない。だからこの映画全体がずっと平行線な感じがする。いつまでも交わらない他人、好意、人生…。裏を返せばその人間のフラストレーションみたいなものはすごく迫ってくる。

だから正直、あるミュージシャンを追っているツアードキュメンタリーとしての落とし所はどこなの?と混乱した。

 

とは言っても、だからといって何も映ってないドキュメンタリーではないのだ。祖父から古いカメラを受け継ぐところや、元彼女に未練がましくセルフドキュメンタリーを見せるとことか、彼が何かをしたい、得たいという貪欲な気持ちは垣間見える。

でもやっぱりわからない。MOROHAが全然貪欲そうじゃないんだもの。宮地さんの目が全然優しい感じがしないんだもの。あえてなにかをわからないようかき消しているようにさえ、さらけ出していないようにさえ感じるのだ。

 

だからまだこの映画の真意がわからない。